2009年12月17日木曜日

ブラタモリ 品川 Live

番組をみながら判明した場所を貼っていきます

より大きな地図で ブラタモリ 品川 を表示

先生と待ち合わせた場所

大きな地図で見る 品川神社


大きな地図で見る あきおか


大きな地図で見る 鬼門を守る大黒様がいる

大きな地図で見る 玉文堂印房


大きな地図で見る 運河の端っこ


大きな地図で見る 第4台場の石垣


大きな地図で見る バージ船


大きな地図で見る TY Harbor Brewery 
レストランでビールで〆るブラタモリ

Read More...

2009年11月26日木曜日

ブラタモリ 日本橋 Live

とりあえずリアルタイム更新した内容も転載

より大きな地図で ブラタモリ 日本橋 を表示



大きな地図で見る 日本橋
キリンの装飾がなされている立派な石橋

2009-11-26_225329.jpg
「熈代勝覧」今から200年前には魚河岸があった


大きな地図で見る 東海道など街道の基点となっている日本橋基点この真下にある

2009-11-26_221255.jpg
水路側から日本橋を眺める


大きな地図で見る 三井信託銀行(建物は重要文化財)

2009-11-26_222446.jpg
日本橋が壊れるので水路から運び込まれた金庫の扉

水路跡を探す事に

大きな地図で見る にんべん
堀留近くで昔からあるかつおぶしの老舗


大きな地図で見る 刃物の木屋
タモリさんのマイ包丁で研ぎ方を教わる事に

にほんブログ村 テレビブログ テレビバラエティーへ
にほんブログ村

Read More...

2009年10月15日木曜日

ブラタモリ 第3回 二子玉川




より大きな地図で ブラタモリ 二子玉川 を表示


大きな地図で見る 二子玉川駅

今日は二子玉川


はい

通称にこたまですね

はい

ほとんど来た事がないニコ玉には

あまり興味の対象外・・・


言っちゃあなんだけどあんま興味ないんだよね

おしゃれな素敵な街って言うイメージが私にはあるんですよね
”どこ住んでるの?”って聞かれた時ニコ玉なんて言ったら
わあ素敵って言う憧れの

ああそう



タモリさん
ここ二子玉川は都内でもとっても人気のある街なんですよ
渋谷まで電車で数分、横浜へのアクセスもいい便利な場所です
さらに近くには多摩川の流れと緑があふれ自然も満喫できるんです
街の発展の中心となったのは駅前のショッピングセンター
輸入食材からブランド品まで何でも揃っています

セレブな奥様方にはこんなサービスも
1000円払えばスタッフが代わりに車を停めてくれるんです

それだけじゃあありません買い物した荷物は全てお店の人が車へ運んでおいてくれるんです
ソレもソノ筈このサービスを利用する方の1回の平均お買い物額は約6万円

ひぇ~さすがニコ玉
おちゃれなニコ玉は住みたい街としても常に人気です

この二子玉川急成長を遂げたのは実はほんの40年前
ショッピングセンターができてからの事なんです

ブラタモリ今回は
大型店の郊外進出によって生まれた新しい街を歩きます
あっと驚くニコ玉の昔の姿をご覧にいれますよぉ~

大きな地図で見る ショッピングセンターでキーマンと待ち合わせ

タモリさんニコ玉といえばコチラのショッピングセンター

ん?

うふふ


え?いくのショッピングセンターに?

あまりにも興味がなさそうなタモリさんをお連れするのは申し訳ないんですけども

ショッピングセンター行かなくてもいいでしょ

店内を見て周るが興味がなさそうなタモリさん



タモリさんコチラにお連れしたのには訳があるんです
今の二子玉川の街を作ったキーマンをお呼びしているんですよ



昭和38年当時の写真を見せてもらう
今よりずっと栄えていない街並みだった
この当時からつい最近までデベロッパーの仕事をしていた
松澤 邦光さん


現在の二子玉川を作った方と言っても

まさにそうですよね


「二子玉川の父」ですね
ニコ タマ 父!


当時の写真と現在の場所を見比べる
タモリさんたち



昭和37年に世田谷・二子玉川に巨大ショッピングセンターを建設する計画が立案
当時の新聞記事には”高島屋 衛星デパート 車の利用客ねらう”と報じられていた

昭和39年 東京オリンピック以降
二子玉川周辺でも次々と道路が整備され
そして手ごろな価格の大衆車が人気となり一気にマイカーブーム

ショッピングセンターは車で来る客をターゲットにしたんです
今では当たり前ですが当時は画期的だったんです

昭和44年11月 ショッピングセンターオープン


初日だけで来客数11万人 売上げ1億円を上げました
当時としては常識はずれの広い駐車場を用意しましたが
やってきたのは1万台以上駐車場に入りきらない車が長い列をなしました



何故かクイズ形式で当時の事が問題に

昭和46年当時 ショッピングセンターが売り出した
ユニークな物とは!?

ヒント1 400万円前後
ヒント2 当時の給料 4万円前後
ヒント3 ソレを売るために砂を用意した
ヒント4 動物です

答え:競走馬

なんと10頭売れました



他にもアーチェリー上場を作ったり、洗車場を設置したり
遠くからわざわざやって来るお客さんを確保しようと様々なアイディアが試されました
こうして徐々に発展していく二子玉川周辺
そんな変化を当時タモリさんも実感していました



溝の口で住みこみで人形を売るアルバイトをしていたタモリさんは

年末に孫に買ってやるんですって
もの凄い値段のヤツが飛ぶように売れていく

(中笑)

こういっちゃあなんですけど本当に変なおばさんとか小汚いじじいが買ってくんです
んっで配達しなきゃいけない配達したら農家で農家なのに

ほっと見たら新車が2台くらい並んでて

全部宅地として売って現金収入が相当あったみたいで
今から46,7年位前になるんですかんねぇ



この事務所の中に残っている集客のために作ったある物とは一体何?

事務所は昔ボーリング場だった
当時は人気でショッピングセンター開店前の7時から営業していた
毎朝7時より10時まで150円と写真には写っていた

タモリさんはボーリングの機械にも精通していて
当時は修理などを頼まれるほどでした

床をめくっていくとレーンが現れた




東京都神奈川の県境を流れる多摩川
この水の流れと魚達は古くからこの地に住む人々の生活を支えてきました



タモリさん川もお好きなんですよね

川はね・・・

   ふふふ

あの川が好きって言うか・・・

      あの川の跡が好き

あ!そうそう川の跡ですね、川がどう流れているかって言うのが面白い・・です
川まで来てこうやって”おおー!”事は・・・

川原に来て遊びとかそういうのは・・


今日はここいら辺に生まれてとっても詳しい
タモリさんの良くご存知の方が


大きな地図で見る 多摩川鉄橋近く

やってますね向さん (向谷さんは録音しているようでした)


ああこりゃどうも
チョット今最高にいい感じですよコレ
東急の新型の5000系がこうこう着てね反対側に大井町線がこう
大井町線は最近急行走るようになりましたからね6000系で

                    
                       そうそうそう

今日はソノ手の番組で?
        
        全然ちがう



向谷実さん 二子玉川出身のミュージシャン
BEST OF CASIOPEA-Alfa Collection-
BEST OF CASIOPEA-Alfa Collection-CASIOPEA

ソニー・ミュージックダイレクト 2009-10-14
売り上げランキング : 7643


Amazonで詳しく見る
by G-Tools
フュージョングループ カシオペアのキーボード奏者として活躍してきました

大の鉄道ファンでタモリさんとは鉄道仲間です→タモリ倶楽部 関連記事
実は向谷さん生まれも育ちも二子玉川

(向谷さんの家族写真が映る)
コチラは40年前 向谷さんが家族と一緒に撮った写真です
飛行機が滑走している場所はなんと多摩川の河川敷・・飛行場があったんですねぇ



なんかニコタマニコタマってしごく最近よく聞きますけど

ニコタマとはそんな昔言ってなかったですね

言ってなかったよねぇ

ニコタマって最初聞いてなんだソレって

僕 出身が二子玉川小学校なんですけど二子玉川って地名はなかったんですよ
だいたいこの辺は玉川何丁目って言ってたんですけど

この川を渡った神奈川県に二子村(現・川崎市 二子)って言うのがあったのかな
こちらが玉川村で(現・世田谷区 玉川)

それが一緒になって二子玉川っていう、っま一つの俗称?・・・




そんなニコタマ育ちの向谷さんの案内で再びブラブラ




大きな地図で見る 多摩川沿いのマンション

ここいら辺のマンションは花火大会絶景でしょ

あ!そうですねぇ



花火も見られる川沿いから少し離れた所でタモリさん気になる物を発見





大きな地図で見る 土手

川から歩いてきてここに土手がずっとあるんですけどコレ

これ土手なんですか?

これは昔っからあった?

そうですね僕も子供の頃からもうここに土手ありましたね


でもココ道路ですよね?

これなんだろ?
自然堤防でもなさそうだよね

ですよねぇ階段もついてますし・・・

なんだろぅねこれは?・・・
ずーっと続いてんだ

結構多いですよね長いですよね
あっちの方にもあるし


ちょっと土手らしくピクニックされている方も・・・


もっと川沿いにあるなら話はわかるけど
なんだろう これ?

ね ちょっと謎ですね


いざという時役に立たないですよねこれ


そうですね



多摩川沿いにはマンションが立ち並んでいます
土手があるのは川からおよそ50m離れた

より大きな地図で ブラタモリ 二子玉川 を表示

この場所
これじゃあ川が氾濫した時水に浸かってしまいますよねぇ

不思議など手ができたわけ
それは大正13年の地図の中にありました
現在マンションが並ぶ一角を見てみると料亭街が広がっています
氾濫が多かった多摩川沿いには緑線の様に堤防を作る計画が持ち上がりました
しかし川の景観を売りにする店からは反対の声も多く上がりました
その結果この様に川から離れた現在の位置に造られる事になったのです



当時から残っている店がたった一軒だけありました

大きな地図で見る 懐石やなぎや

お足元どうぞお気おつけくださいませ


(玄関には小さな小川が流れている)

昔こういう美人喫茶の池に落っこちたことある

あははは 美人喫茶・・


2009-10-16_172851.jpg
あ!お店の中もずっとお水が

そうですねこれはねぇ多摩川をイメージしておりまして

多摩川から流れてくるお水をイメージしております

お茶と和菓子をご馳走になるタモリさんたち

創業何年くらいになるんですか?

天保2年(1831年)でございます


川沿いに舟が沢山浮かんでいる
昔の写真を見せてもらうタモリさんたち

舟遊びなどされていたようです

どういう方がいらっしゃるんですか?

そうですねぇ天保年間の時には徳川様がお見えになりました


あの徳川様


他に徳川様はいない


あははは・・・


あのココに来る途中 道路の真中に土手が・・・
                    そこに土手
土手ですねほんとはもっと川側に造らなければいけないんですけど
お料理屋さんの景観が悪くなってしまうので
お料理屋さんが皆さんで料理屋の外側に土手を造ってくれという事で
もう私達はどうなってもいい


えへへへ


私たちは水で流されてもいいから
この景観を残しておきたいという事で


結局この料理屋は流されたことはないんですね?

流されたことはございません


でも何気にこの店舗って2階にあるね


みんなお辞めになりましたけど




ブラタモ写真館では

BSアンテナに屋根がついている写真
道に迷った時にアンテナの方向を見れば東京タワーの方向がわかると
タモリさんは語っていました

関東エリアでは八木アンテナの骨が短い方の方向に東京タワーがある




大きな地図で見る 二子玉川駅近辺

二子玉川駅近辺に戻ってきましたけども
ここでは何を?

音で表現したいと思いますけど
今ちょーどメトロの車両が行っちゃったんで
ちょうどこんな様な音ですよ
”みょーんみょーんみょんみょみょみょ”→ストリームエクスプレス Sound Gallery > [特集]東急世田谷線
                        玉線の生残り世田谷線の音ならココで聞けます
あはははは!結構苦しい感じの音ですね

あのねココに昔 路面電車が走ってたの




みょんきょん・・みょんみょん・みょんみょんっと向谷さんが言うのは

こちらの電車のモーター音なんです

路面電車音曼陀羅 ←このCDで聴けるかは未知数
B00005IFX0



明治40年に開通した玉川電気鉄道
通称”玉電”
渋谷と二子玉川を結んだ路面電車です

この電車人を運ぶ以外に大きな役割がありました
関東大震災後 コンクリート建築が増えると大量のじゃりが必要となりました
2009-10-16_182948.jpg
多摩川周辺で取れる良質のじゃりを運ぶのに活躍したのがこの”玉電”だったのです

前の車両にはお客さん後ろには砂利を乗せた車両などもはしっていた

2009-10-16_183654.jpg
昭和44年 小さな車両では人口の増加に追いつけず玉電は惜しまれながら廃止となります
しかし二子玉川周辺には今も玉電が走った名残があるんです


写真をもとに線路沿いを歩いていくと

大きな地図で見る 玉電の柵が残る駐車場

あっ!?
この道はなんだ?
この柵はなんだ?

これは何ですかねぇ


これは線路の柵ですねぇ

鉄道柵ですねぇ


鉄道柵ですねぇコレ

一向にこの街が発展していってもなくなる気配がないんです

なんで残っているのかなぁって不思議でしょうがないんですけど
だけど何かもうこれ凄くいい感じで景観としてマッチングしちゃってるんで
まぁ取らなきゃならない理由が無くなったのかなぁなんて
コレは是非取っておいてほしいですね



駐車場の片隅
すっかり溶け込んでしまった鉄道柵
聴こえませんか?”みょんみょん・・みょんみょん・みょんみょんみょんみょみょみょ・・”

続いては向谷さんが子供の頃 利用していた中耕地駅周辺を目指します


大きな地図で見る 小学生達に中耕地駅を訪ねた場所(実際はもう少し後ろ)

中耕地って駅の跡分かる?

中耕地あそこだ!

吉沢

吉沢

中耕地の後は吉沢

いやそっちの(あと)じゃないんだが・・・

中耕地の後は吉沢?

念のために大人の方にも

中耕地の元の駅の場所って分かります?

中耕地の駅の跡ってコレをずうっと行けばあるんだけども

どの辺ですか?

木がありますね

あの木のもうちょっと先アッコで聞けばすぐ分かるよ

あ!そうですか!



大きな地図で見る 中耕地駅のプレート

そろそろかな?

前を見てなんとなく感じません?

この辺だろう・・電停だ!

電停というのは?

電車の停留所

これだここでしょう!

正解です

ここですねぇ

中耕地の駅があったとこういうのがちゃんと置いてありますね
2009-10-22_112044.jpg
私にとってはもうホントにココに乗り降りしょっちゅうしてましたんで
この隙間をねちゃんと取って置いてくれたっていうのはうれしいですね

この部分がちょうどホームなんですね

ホームなんだよね

ホームへぇ~

さっき子供が次ぎは吉沢だぁとか言ってましたけど
良く知ってるなぁ
2009-10-22_112838.jpg
中耕地の次ぎは吉沢って

昭和40年とかそういう頃ですよね


次ぎは吉沢とか・・・なんで知ってんだろ?

探し出して問い詰めたいんですけど


あれ本当は年寄りじゃないか!

ランドセルをしょってましたよ

そういう趣味の



5:30ぐらいから中耕地


tとりあえずここまで番組内容


大きな地図で見る 玉電前の郵便局

これそうだよねぇまったく同じですよねぇ建物

そんな感じですけども・・向谷さん

同じだここだぁ

これはですねぇ昔も今も郵便局

          変わってないんだ

全く同じ建物なんですね


コレなんですよ実は


(当時の写真を見て)

僕らしいんですよ

        ええー!
        ええー!

名札に向谷って書いてある

いや書いてはないですけど

ええー!

まさに・・

自分でも分かる?

他の写真とか見ると結構近いんでじゃないっかなぁ~って
ずーっとこの何年間か悩んでるんですけど


見に行った記憶はあるんですか?

もちろんあります
写真を撮られてたかどうかは記憶はないんですけども
この日は何回かこれが走ったかなぁ~たぶんだからそういう関係でちょっとねぇ・・・


ねぇ鼻の形同じだよ


向谷さんそっくりですよぉ
続いてタモリさんたちが歩いているのは昔線路があったながーい直線
ココを走っていた玉電の貴重な写真が残っていました
これ昭和30年ごろの世田谷ですってのどかですねぇ~
2009-10-22_114250.jpg
(TVとは違うが似ている写真があったので)



大きな地図で見る 玉電マニアなお蕎麦屋さん

ッていう事ですねみなさん
玉電キムラ線共に詳しい方がいらっしゃる所にご案内したいと思います
場所はココなんですけど

お蕎麦屋さん?

お蕎麦屋さん

お蕎麦屋さんなのにチョット外見てください
駐車場ありますよねこの駐車場の延長線上に


ふふふ・・・なんと

すごいね これ!

これお蕎麦屋さんとの関連性は非常に微妙ですよね
これはご存知ですか?


電車の上についている

そうパンタグラフです

蕎麦屋と関係ないよねパンタグラフって間近で見る機会ないからね

相当危険ですからね

このお蕎麦屋さんのものなんですか?

ええそうなんです

タモリさんいらっしゃいませ

2009-10-22_121405.jpg
もういきなりありますね
            わぁすごい
タモさんまずさここヤバイでしょここスゴイでしょチョトこっちミテミテ
2009-10-22_120509.jpg
あ‘‘-!

これはちょっとねぇスゴイっすよねぇ

これは本物?

本物です

本物がなんでココにあるんですか?

玉川のお蕎麦屋さんはかねてから玉電を大切にしてるっていうんで
うちに譲り受けるって事で受けました


本物ですよね

はい!



玉電グッズ収集家
大塚 勝利さん(66)

生まれ育った二子玉川の文化を残そうと自分のお店に様々な
玉電グッズ並べています
中でも自慢は運転台 タモリさんじっと見ているわけにはいきませんよねぇ



これいいねぇほんもんだねぇ

”みょーんみょーんみょーんみょーんみょんみょんみょみょみょ”

ガガガガチャ

”みょ・・・・みょ・・・・みょ・・・・みょ・・・・”

ガガガガチャ


”みょーんみょーんみょーんみょーんみょんみょんみょみょみょ”

お停留所だ!
ガガガガチャ

”シュッチュシュー”

はいおりまーすどうもありがとうございました


ちゃんとお金入れました?

はい入れました130円

はい 扉 閉まりまーす カン あはははは

あはははは パチパチパチ
 はははは パチパチパチ

タモさんすごいいいねぇ~コレ

いいねぇこれは

玉電乗った気分になりましたぁ~

こんな感じでしたよね


ええそうですねぇほんとクリソツですよ

クリソツ

それでいいとも!

あははは


これNHKなんでほどほどにして下さいスイマセン




続いて向かったのは二子玉川を見下ろす高台にあるお寺



大きな地図で見る 行善事

浄土宗

じょうどじゅうの行善事


コレ読むのが好きなのよ(門に説明のプレートが)

必ず立ち止まられますねタモリさん私は素通りしちゃいますけど


”玉川八景として有名であり、将軍も遊覧の折、しばしば立ち寄った。

将軍も来たんですよ将軍そこから入ったんですよ
同じ道を何百年後かに歩いてると思うと
感慨ひとしおなものであると

行きましょうか

入り口に入るまでが結構長いですねタモリさん


そうですよ!
イントロをちゃんとしておかないと!

ただパッと入ったたんじゃ面白くないですよ

はいスイマセン噛締めた上で

将軍もこうやって入った・・・おなかなかこれは立派なお寺ですね

こんにちはー
こんにちはー

チョットお参りさせてもらいます

住職 渡辺 俊雄さん
っお!こんにちは


いい所にありますねぇこのお寺

はい高台のはい

高台のねぇ一番いいとここっからもう向こうは一望ですよね

はい

どっちの方がこれ景色こっちの方?

本堂の裏のですねご案内しましょうか?

ああそうですかいいですか?将軍と同じところに

将軍様たちも景色を見に?

あの鮎狩り鷹狩りって言う時にここ行善事でお昼を召上った
という事のようです


夜の景色がきれいになります

ああ夜景が

(石に登って景色を見るタモリさん)
おおいいねぇこれ昔きれいだったろうな玉川流れてて

徳川家の将軍も見に来たって言う

冬になりますとね南アルプスも見えるんですね

へぇ~

ああそうですかぁ

富士山

富士山、南アルプス・・いいとこだよねぇ

一面の田んぼで

そうなんですよねぇ

タモリさん今あこがれの街と言われる二子玉川を歩いてきましたが
いかがでしたか?


おもしろいっすねぇ歴史から考えると江戸時代は栄えたんですよねぇ
でそれが少し衰退して・・
この再開発で盛り返して何倍もの賑わいになってまた更に発展して行く訳でしょ

っでこの崖の上にゃ将軍様もいらっしゃったこういう景勝地もある

今タモリさんが立っていらっしゃるような所に・・・将軍様も立ってらっしゃった

それ考えると面白いね
ここで将軍様も景色は違うけども見てたんだなぁ

タモリさんと同じように

見てたんでしょうね
”あぁあれが南アルプス・・・”
あ!南アルプスって事はないか

あははは
はははは

”おんたけかぁ”とかねぇ見てたんでしょうねぇ
そこに一緒に立ってるんですよ面白いでよねぇ
これからどう変わっていくんですかねぇ

それでは殿つぎの街に行きましょう

今日は玉川渡るかぁ

はい渡ります

今日は日暮れも近いんでやめよう
あの辺に泊まろう鮎でも食いながら



川沿いに生まれた街 二子玉川
ショッピングセンターの進出と共に次々に変わる街の姿は
急成長した日本の縮図かもしれませんねぇ

ブラタモリ楽しんでいただけましたか
それでは御機嫌よう

♪MAP♪
にほんブログ村 テレビブログへ人気ブログランキングへ

Read More...

2009年10月8日木曜日

ブラタモリ 第2回 上野




より大きな地図で ブラタモリ 上野 を表示

ここは上野のある有名なお寺の・・っまこの中にはかなりの方のお墓がある

いきなりお墓ですか?

まぁ上野といえばこれですからね
          上野が
これのために上野がある今日ある
               へぇ~


えぇ?タモリさん上野といやぁお寺?しかもお墓ですってぇ!
上野いえばかつて東京の北の玄関口といわれた上野駅
子供が大好き上野動物園 大人も楽しめる博物館
毎日がお祭りみたいなアメ横商店街
東京を代表する定番観光スポットのはずですよねぇ

ところがこの上野の街もとは大きなお寺の敷地でしたその名は
寛永寺
建てたのは幕府の最高顧問”天海”というお坊さん
寛永寺を作ることで上野を江戸の一大名所にした人です。

あの池も この島も そしてこのお堂も
花のお江戸のテーマパーク
これこそが天海が目指した上野改造計画の狙いだったのです

ブラタモリ今日は普段滅多にお目にかかれない上野のルーツと出会います

寛永寺にやってきたタモリさん目指したのはなんとお墓


でそのお墓がコチラのほうに


そうなんですよもうはっきり言っちゃていいのかねこれはねぇ
徳川家のお墓なんですよ

家康公ではないんですよね?


じゃないんですけどね何人かはコチラに

へぇ~
あれ門ですかねぇ



2009-10-09_113107.jpg
徳川家霊園の門 勅額門

あれ門ですかねぇ

これお墓の入り口ですね

お墓にこんな立派な入り口が
         すごいでしょ徳川家のお墓
あそこに葵のご紋が

ちゃんとありますね
         はい
でもお墓って言ったら普通の墓石を思い浮かべるじゃないですか
この門と比べてお墓はどれだけ大きいんだろうって

                        どうなんでしょうねぇ
これ今日は入れるんだねぇすごいっすねぇ


おッとタモリさん中に入れるなんて一言も言ってませんよぉ
ここ寛永寺は徳川将軍家の菩提寺6人がここに葬られています
  四代 家綱
  五代 綱吉
  八代 吉宗
  十代 家治
十一代 家斉
十三代 家定

2009-10-09_113445.jpg
金箔を施した豪華な作りこの門は国の重要文化財にもなっている
この門の奥に将軍のお墓があるんですが通常は非公開
いったい扉の向こうはどうなっているんでしょうか?

寛永寺の場所はコチラ
徳川家の菩提寺としてはチョット小さい・・・
ところが江戸古地図で見ると
2009-10-09_143554.jpg
2009-10-09_120151.jpg
(画面を参考にシェイプで描画)
寛永寺の敷地はおよそこの通リ上野動物園も駅もそして公園もみんな中に入ってしまいます


全部寛永時ですよこれ
         へぇ~
ですから寛永寺ができて上野がこんなに門前町として大繁栄するんです
みて下さいちっちゃなこらはあの下級武士の館ですよ
(古地図には下級武士の館が細切れに記載されている)
で御囲地町の生まれが天海祐希さんです

へぇ~あの元宝塚の

そうです、っでこの寛永時を開いたのが天海和尚で
天海をとってあまみ

あ!そうなんですかぁ~

でもこれ本人に確かめたわけじゃないですから

またですかぁ~
でもタモリさんは天海和尚から


絶対そうです
上野で天海 あまみそれしかないでしょう

タモリさん今日の案内をしてくださる方がいらっしゃいました
どうも失礼ました地図に夢中になっていて


どうもこんにちは寛永寺の浦井と申します

よろしくお願いします
よろしくお願いいたします


寛永寺執事長 浦井 正明 僧侶と歴史家2つの顔をお持ちです
上野寛永寺 将軍家の葬儀 (歴史文化ライブラリー)
上野寛永寺 将軍家の葬儀 (歴史文化ライブラリー)
吉川弘文館 2007-10
売り上げランキング : 14206


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

この門は変わってますよねぇ

1人の将軍が亡くなると門だけで6つ作るんですけど
一番のメインゲートという形なんです


え!そうすると 6人くらいお墓に将軍が・・・
6門x6人=36門ぐらい門があるってこと

いいえそれは八代将軍 吉宗の時に節約しようって事で吉宗から後は止めますから

その前まではずっと

そうですそうです

これもちろん非公開なんですけれども

ええ普段はそうですね


ちょっとあのお参りさせていただくわけには行かないんでしょうか?

ええわざわざお越しいただいてどうぞご案内します

ありがとうございます
ありがとうございます



なんと特別にお許しをいただきました

ちょっと小人数にしていただいてどうぞ

エー他の方はちょっとご遠慮ください我々だけです

代表してみてきます



神聖な場所なのでお参りするのは極限られたスタッフだけ
いよいよ徳川家の聖域に入ります


2009-10-09_113035.jpg
宝塔(重要文化財)

こんなにでかいとは思わなかったですね

あそうですかぁ

この半分くらい



お待たせしましたコチラが徳川将軍のお墓です
高さは4mあまり
銅と錫の合金 唐銅をふんだんに使い威厳をかもし出しています
ここに葬られているのは五代将軍

2009-10-09_125925.jpg
徳川綱吉 
生類憐みの令で良く知られていますよね
幕府の力が最も強かった時代の将軍様

お参りするタモリさんもちょっと緊張気味です

綱吉が亡くなって今年でちょうど300年
宝塔は建てられた当時からそのまま姿を保っています



この石組み見てもらうとねタモリさん
この目地がほとんどズレていないでしょ
 (目地:石と石の間の継ぎ目)
江戸の仕事ってのはすごいですよね

これでも関東大震災・・・

大丈夫だったんですよ


ええすごいですねぇ
だからズレてないっとことですよね

そういう事です


本当にここに綱吉公が眠ってらっしゃる


ここの地下に2重の石室
お棺の中に綱吉公は座ってらっしゃるんです
寝ててないんですよね、それが江戸の武家墓の特徴です


おおそうですか

あの星座って事ですか?


あのね足を前に投げ出して足の裏を合わせる
胡坐みたいなんだけど胡坐じゃなくてお公家さんの座り方です


あ!昔の絵とか銅像でありますね

ああゆう格好の座り方なんです


いまも座ったままいらっしゃる そうなんですかぁ~


地下3m50cmか80cmくらいの深さのところに眠ってらっしゃる

へぇ~



タモリさんが次に向かったのは
上野公園の中
桜の季節花見客で賑わう名所として有名ですよね
この場所江戸時代は寛永寺の中心部分たくさんのお堂や門がひしめいていました
なにか当時の面影が残っていないでしょうか?




より大きな地図で ブラタモリ 上野 を表示

ちょうどこの広場に

ああこの辺ですか

これが表の参道ですからね
いまは両側に木を植えちゃったけど

木陰には山門の礎石が残っている

礎石の先を進んでいくと何か見えてきた


あれ上野公園の中にこんなお堂が


大きな地図で見る
2009-10-09_135119.jpg
清水観音堂

清水観音堂っていって京都の清水寺をね模して天海さんが造ったんですよ
だからちょっと舞台造りに


あの清水の舞台っていう清水の舞台ですよね

それで下から見えるようにしてあるんですね

そうですそうです




さて何故 上野に清水寺が造られたんでしょうか?
天海が目指したのは庶民のために上野を花のお江戸のテーマパークにする事
そのテーマとは京都、京の都の周辺を上野に再現したんです

たとえばこの不忍池
これは
琵琶湖に見立てたものです

不忍池に浮かぶ弁天島
琵琶湖の竹生島をイメージした人工の島です

そして上野山これは比叡山に見立てました

名物の桜の花も奈良の吉野から天海がわざわざ取寄せたのが始まりです
自由に旅行ができなかった時代 寛永寺は江戸庶民の人気を集める
一大テーマパークに成長したんです



2009-10-09_144022.jpg
この舞台がいま立っているとこですか
この人たちは何をしに来ている人たちなんですか?


あのお花見の季節ですからお花見とか景色を見に来てるんだと思いますよ

物見遊山っていう


そうですね

これ大商人が自分の家族とひいきのゲイシャとか連れて来てるんでしょうね

いやぁ豪華で楽しそう
ここが清水寺の舞台を模したものかどうか知っているか来ている人に聞いてみましょう


こんにちは


あ!君スタッフじゃないんだ

スタッフじゃないです

これ江戸時代のここの絵なんだけども
京都の清水寺を模して造られたらしい

んー


あ!知ってた?

いや知らないです

今日はこの辺は散歩で?

いや学校で写真を撮るって言う授業があって
それで


ああそうですか写真の学校で

そうです

どの辺撮ったんですか?

上野のアメ横とかそういう所を撮って


向こうを撮ってついでにここ

ついでに


ついでに来たら俺にスタッフに間違われて
アハハハ

学生さんで
ハハハ

ありがとうございました
ありがとうございます

やっぱわかんない
俺もわかんなかった



今では気がつかない人も多いけどこのお堂にも古の熱い思いが込められていたんですね



お堂の内部には巨大な絵馬が架かっている

これ絵馬といっていいんですか?
でかいですねぇ

彰義隊の戦争の時の清水(観音)堂のことろなんですよ




ええ!上野で戦争?
時は幕末 上野戦争(1868年)
襲い掛かる薩摩長州を中心とする新政府軍
寛永寺に立て篭る幕府軍 彰義隊とこの観音堂で激突します

この戦争で寛永寺は炎に包まれ建物のほとんどが灰になってしまいました
しかし清水観音堂は幸運にも焼け残り今に至っています



絵馬の隣には当時の砲弾も展示されている

かつての寺領
30万坪+不忍池
は全て一度没収され
返ってきたのは
1/10の3万坪となった

もし残ってたら世界遺産になってたでしょうね
僕は切符切っていたかもしれない




公園のあっちこちに今も残る寛永寺の礎石
江戸の名残とはなかなか気がつきません

でもちょっと空想の翼を広げてみませんか?
2009-10-09_213715.jpg


さて次にやってきたのはご存知こちらの池

大きな地図で見る 江戸の名所 不忍池
「トゥルットゥートゥルットゥー」とハトの鳴きまねをしながら
ハトを写真に撮っていると

これはなんだ?
2009-10-09_215923.jpg
カモにエサを上げないでください
パンくずなどの餌による高カロリー接種・・・

あのねぇほんと物言いたいんだけど
最近のパンってあのぉいろんなもの混ぜすぎだよねぇ
                          はぁ~
パンはやっぱ粉のおいしさを楽しむもんでシットリなんてどうだっていいんだよ

あのモチモチとか


モチモチとかいらないんだよ
          あははははは
なんでも楽しむものがあるでしょ別々別々に
素朴なパンだったら高カロリーじゃないんで ひょっとしたらカモにいいかもしんない
カモにやさしい食品作りを
          うふふふふ



不忍池に浮かぶ

より大きな地図で ブラタモリ 上野 を表示
弁天島 ここで出会ったのはベビーカーの集団

お子さんずれが多いですねぇ
うわぁーなんですかこれ

ベビーカーがこう一団が・・・

こんちわー

どちらから?

足立区です


熟睡だな

弁天島めぐり
2009-10-09_221932.jpg

なんだ?

なんかいろんな碑が

碑がありますねなんですか
2009-10-09_214541.jpg

それはフグのお料理屋さんが作ったフグ供養碑です

あぁー
これ面白いな

なんかいっぱいありますねぇ
2009-10-09_223624.jpg
お琴の塚なんですよ

ここは弁天様で芸能の神様なんですよね

そうですだから

だから多いんだ

お琴とか


あっちは舞扇を供養した塚なんですよ
2009-10-09_224017.jpg

毎年ここでご供養が?

毎年やってるんです


        えぇー
        へぇー


より大きな地図で ブラタモリ 上野 を表示
裏の茶店勝亭で甘酒を購入

24年ぶりに甘酒を飲んでいます

24年前は何の機会だったんですか?

親戚のところで

甘酒にはねぇあの小さい頃一家で食中毒あった事があったんだけど
俺だけが何ともなかったんですよ
一家倒れてるんだけど俺だけが何ともなかった

ふははは


相性が良かったんだ


うまい

ありがとうございました

ご馳走様ですありがとうざいます


さてここで広げたのは明治時代の地図
不忍池の近くにちょっと場違いな文字が

これねウマミ
馬見場(所)っていうのがあるんすが
明治時代に競馬やってたんですよね

そうです

   え!

池一周

競馬ですか

競馬場だったんです



2009-10-14_182342.jpg
明治時代 不忍池の競馬を描いた絵です(番組中のとは違います)
奥に見えるのが馬見所今で言うVIP席ですね

その写真が残っていました
2009-10-14_182848.jpg
明治天皇もここからレースを観戦しました



ここいら辺にいんのかな

私達がいるのはこの弁天島の


より大きな地図で ブラタモリ 上野 を表示
ちょうどあの白い低い建物のある辺りに2階建ての馬見所が
天皇皇后両陛下が座るっていう


へぇー


これ景気つけに花火上げて景品が降ってきたんですよ

へぇー


へぇー優雅な
これでも今でもやってほしいな ねぇ



競馬場だった不忍池その面影をわずかに残すのがこの遊歩道です
2009-10-14_184701.jpg
もともとは競馬のために整備されたコースでした

明治以降の上野はこうした最先端の文化や娯楽を紹介する場所に変身します
日本最初のエスカレーター
2009-10-14_185346.jpg

ロープーウェイ
飛行機
上野は言わば文明開化の実験場でした

中にはこんなアトラクションまで現れました

2009-10-14_185811.jpg

コレなんですか?

これ博覧会の時にやtったいわゆる昔のウォーターシュートってやつですね


へぇー

ウォータースライダーですか


本当に人間 乗っけてやったんですよ

へぇー


この不忍池に

そうです あっち側からね


コレなんか観覧車でしょ(絵の左上枠内)
外国にあるものを上野公園と不忍池周辺で見せて

ようするに日本が文明開化をやってるんだよって
世界にアピールする
アピールの場所だったんでしょ上野って


へぇー


明治になってもここはやっぱりアミューズメントパーク
テーマパークでありアミューズメントパーク



上野のとある裏通り
ここに古い坂道が残っています




大きな地図で見る 坂道

いいさかの条件は湾曲していること
もう一つは道路が赤くないこと(Googleビュー撮影時は赤くなかったようです)

昔は鬱蒼としてたんで暗闇坂って言われたんですよ


あー
あー


今はだいぶ明るくなっちゃって


なかなかいい坂なんですよ

いい坂ですねぇ


それと車の擦った後

大きな地図で見る 坂道の内側擦り跡

それもポイントなんですか?

ポイントですですね

ハハハ


どうして内側を擦るんだろうなぁ

よっぽど中に切っているんですかね


こっち側を擦るならわかるんだけどさ
インサイド側でしょアレ

大きく回りますもんね車って


この坂のねいいポイントって言うかね
実はこの建物

大きな地図で見る

不思議な洋館でしょこれ

これ蔦が絡まっている?


絡まってる
 絡まってる



タモリさんが前から気になっていたレンガ造りのこの建物
なにやら怪しいムードです


何なんだろうコレ!

大きな地図で見る

あ!こっちに入り口あります・・・

あれ入れる・・・
使ってるんだ・・・

俺だいたい早朝に来るんでねぇ気がつかなかったなぁ
えー!

あ!・・こんちわ~

こんにちはー


これちょっとお邪魔していいですか?

どうぞどうぞ


お邪魔しまーす


かねがね気になってたんです何度も来てるんですけど

あ、ちゃんと使われてるんですね

そうですね




うずたかく積まれたダンボールの山、山、山
なんだかとっても忙しそうにしてますねぇ



何をなさっているんですか?

えー上野動物園内の売店で販売されとります商品の
ここは保管ストックの場所に倉庫として


へぇーそうなんですか

そうなんですかコレかわいい
これキリンのリュックみたいな



なんと怪しい建物の正体はかわいい動物グッズの倉庫でした
んー何ともミスマッチ



珍しいものそうですねぇ”ハダカデバネズミ”


ハダカデバネズミって何ですか?(右は本物)

2009-10-14_194457.jpg
動物園の人気者のぬいぐるみ!ハダカデバネズミ サイズ:L7.5cm


かわいらしく見えますけど


動物としては人気があるんですけど


グッズとしては人気ない?

グッズとしてはちょっと・・・ええ・・・
あの・・ええ・・ッという感じ

コレもちょっと見せてもらえますか?
カチューシャですかうわぁー



どうぶつカチューシャ トラ
トラの

あのちなみにイグアナのぬいぐるみなんてありますか?


えーっとイグアナ置いてないんですよ

レプリカはあったんですけど

見つけてみた


【Webkinz】ウェブキンズ イグアナ

この世界入ったころイグアナの物まねよくやってたんだけどさぁ
そしたら俺がやる前に上野動物園にイグアナがいて
それが「タモリ」って名前だった

えー!

あーはははできすぎ

すごい


っで俺会いに行ったら
ほんとに飼育係の人が驚いたらしいんですよ
タモリーとかいってたら
いきなり俺がやりだしたんで

へぇー


っでそこには「タモリ」というのと「和田アキ子」と「せんだみつお」ってのがいたらしい
いまは「タモリ」と「和田アキ子」しかいないらしい
「せんだみつお」はどうしたんですかって2人が虐めて横浜の方に行ったって言ってましたけど

ええーすごい そんなの


俺「タモリ」見に行きましたよ

そうですか




おっとつい建物のことを忘れてました
あのぉーぬいぐるみの倉庫にしてはチョット厳しく見えるんですが・・・



ここは密閉されてますよねぇー

ココは実はですねぇ昔変電所だったんですね
都電の電力をここから供給していたという話です


えー



実は上野日本の路面電車発祥の地なんです
上野公園で行われた博覧会で走りました

庶民の足として愛された都電その数は41系統もありました
上野はそのキーステーションとなり

とくに上野広小路には8系統もの路線が集まっていました

この変電所は東京を行きかった数多くの都電を支えた影の功労者だったんです



ようやく分かってスッキリしたよ
なんだろうなんだろうなーって思って
廃墟じゃなさそうなのは分かるんですよ

これがあるからいい坂になるんですねぇ



タモリさん今度は都電が沢山集まっていた広小路にやってきました
古くからの上野のメインストリートです



大きな地図で見る 広小路



大きな地図で見る 写真と比較した辺り

写真を見ていた位置と写真の位置は結構ずれていたって事かな?

2枚目の写真は上野にしてはひなびた感じよく見ると動物園の文字が
上野動物園付近にも都電は走っていました


大きな地図で見る 都電2枚目の写真を撮影した付近

都電ってどういうものだったんですか?


都電ねぇ正直言っちゃうとあんまり利用しなかった
それほど乗らなかったのね

それはまたどうして


やっぱりね遅いんですよ
電車という感覚で乗ると車より遅いんですよ

えー!


多少イラつくんだよ

ふっははは


そんで横にゆれるんだよ

この軌道見て分かるじゃないですか揺れるの


じゃあみんなゆらゆら揺れながら



不忍池のほとりをのどかに走った都電って
こんな感じかしら
♪「MAP」♪

上野それは時代に合わせてしなやかに姿を変えた街でした
ブラタモリ楽しんでいただけましたか
それではごきげんよう
♪「MAP」♪



来週は二子多摩川でブラタモリ

Read More...

2009年10月1日木曜日

ブラタモリ 第1回 早稲田



 
より大きな地図で ブラタモリ 早稲田 を表示

町歩きの達人タモリさん江戸や明治の古地図を見れば甦って来る
すっかり失われた過去の町並み

タモリさんが目に留めるのは誰も気にしないようなかつての思い出
タモリさんの空想で甦る、隠された日本の風景

銀座、新宿、秋葉原
目を凝らせば見えてくる大都会に埋もれた意外な真実

時空を超えた町歩きそれが
ブラタモリ
さぁあなたもタモリさんと出かけてみませんか?

ストリートビューで(ストリートビューが重いかもしれません)




大きな地図で見る
タモリさんは早稲田大学に在学した当時モダンジャズ研究会に所属
当時連絡所として使っていた、喫茶店は現在は”キッチン南海”となっていた
携帯電話の無い時代 学生たちは、喫茶店で連絡をとりあっていた。


大きな地図で見る
喫茶ぶらんたん
これは当時とおなじだね、ここも連絡所だった
これくらいしか残っていませんね

でも当時と変わらないのが

大きな地図で見る
早稲田大学
タモリさんの訪問に学生達が大喜び
早稲田大学の創始者は”大隈重信”127年前この地に学校を作ったことから町が発展してきました
全国から集まる学生を相手にした、飲食店や商店街 下宿が建ち並ぶようになったのです。
やがて他の大学や予備校、専門学校も次々と集まり、早稲田は一大学生街へとなりました。

タモリさんの知識 大隈講堂の高さ
「尺で言うと125尺(約38m)」
「大隈が人間は125歳まで生きる気概を持つべきと唱えた」
「それにちなんで125尺にしたって、俺も2年前に知ったんだけどね」
当時の写真を持ち出し
すぐそこから田んぼだったと学生達に教えるタモリさん
校歌の”早稲田の森に”とういうのは当時本当に森があったためとも教えてあげる
早稲田の名前も”早稲””遅稲”の早稲の田んぼだから”早稲田”となった
また
ここの地層は沖積層(1~2万年前の地層)だった
4つの地層が折り重なっていると教えてくれたタモリさん
「いろんな古今東西の文化を一つに集めてそれから日本を創造するという」
「建学の精神と地層が一致してるんですよ」
「無意識的にここ選んだと思うんだけどすごいなって」
「この話はながいですよ」

大きな地図で見る
昔の日本交通公社の早稲田出張所
早稲田大学の学生のために建てられた出張所だった
タモリさんも学生当時並んで、切符を買った事があると答えてらっしゃいました。
昔の切符は硬券といって硬いボール紙のような切符でボールペンで手書きをしていた。


大きな地図で見る
大隈庭園
造園家 涌井 雅之(日本庭園など庭の専門家)さんと待ち合わせ
涌井さんいわく ここは由緒ある庭なんですって
実はここ大隈重信が暮しただけでなく江戸時代には大名屋敷(旧 高松藩松平家)
があったんですって
庭園内には鞍馬石、伊代の青石、御影石(縁側に上がる時に使われた)


ここで古地図を広げて確認をしていく3人
当時この地域は早稲田村と呼ばれてた、田んぼのための小川も流れていた
ついていけない久保田アナにたいしタモリさん
「いいのよいいのよー」
「かわいいからいいのよー男ならひっぱたいてやるけど」
タモリさんは失われた川が本当に好きらしい
鐘が鳴ったので時間を確認すると
「4時か・・・」
「4時って中途半端じゃないか?普通5時だろ」
「4時ってなんだよ!」


大きな地図で見る
神田川へ春に撮影したらしく桜がほぼ満開(ストリートビューも満開)
かぐや姫の歌”神田川”西脇睦宏 - オルゴール 70's BEST - 神田川 (南こうせつとかぐや姫)は早稲田の学生街の神田川をモデルに作られた歌
神田川の川沿いの柵には川柳が書かれた紙が所々に貼られているらしい
当時本当に寒かった早稲田
タモリさんは銭湯帰りにタオルが凍って立ったと当時の思い出を語る

と歩いていると気にかかるモノがタモリさんの目に入る
街灯に書かれている区画が

大きな地図で見る
豊島区


大きな地図で見る
新宿区 豊島区と何故か一箇所で新宿区となている事に気がつく


大きな地図で見る
えぼしクリーニング (豊島区 新宿区 豊島区のところに建つ)
クリーニング店に尋ねると
ここは区境で
豊島区と新宿区と文京区が入り組んでいる所なんですよ
ここ一ヶ所だけなんですよ西早稲田で残っているのは
ここは西早稲田です新宿区です

家の隙間を通るように新宿区と豊島区が入り組んでいる
その理由は明治16年の地図で確認するとわかった
昔は川が蛇行していたので川を境になっていたが、大雨のたびに大洪水を起きたので
そこで昭和のはじめ改修工事が行われ、神田川は真っすぐに
でも区の境は曲がっていた明治時代のまま残ったんです。

地図に画面を参考に線を引いてみました
豊島区と新宿区が交互に現れる複雑な区割りは蛇行する神田川の名残だったんですね


大きな地図で見る
東京染ものがたり博物館((株)富田染工芸)
タモリさんが見つけた古風な建物なんと大正時代から続く染物屋さんでした
昔 昭和30年代まではあたりまえに前を流れる神田川で染物をしていた

100年前の明治43年頃には水辺から桜を楽しむことができた

清流”神田川”の水を求めて多くの染物職人が集まってきました
数百軒も軒を連ねていたという染物屋さんですが今はそのほとんどが姿を消しています

タモリさんの知識
冬場に素手素足で染物をする人々を医者が見てて
「”あの人たちは冷たくないんだろうか”と当たり前の事を思ったんだって」
「”冷たくないんですか?”って聞いたんだって」
「そうしたら”そうね最初の・・・5分くらい冷たいかな”とって言ったんですって」
「あとは冷たくないって、それからそのメカニズムをズーッと研究して」
「実は人間には隠された”グローンニュー細胞”っていうのがあって」
「冷たくなった時に血管と血管が伸びて繋がる、機能があるッつうのが発見されたんだって」
「染物屋さんと川があったからそれが分かったって」
さすが古老
「いえ、これは地図からくるんです」
と答えるタモりさん


大きな地図で見る
胸突坂へ向かう坂
タモリさんの知識
「坂というのはね江戸時代から、そのまま名称が残っているんですよ」
「私はね坂ファンという高低差があると限りなく興味がある」
「だから散歩しながら高低差をいつも見ている、ほんのチョットの高低差でも見逃しません」
そして本も書きました「タモリのTOKYO坂道美学入門

NHKで商品紹介できるんですねさすがタモリさん

胸突坂を登って
「江戸の風情が残ってる」
「ねぇここ百何十年前は武士とか町人が上り下りしてたんですよ」
「そんなに前じゃないですよね、今と同じくらい賑わっていたんじゃないですか」
「坂の向こう側(両側)には大名屋敷もありましたし」
「活気あふれる江戸の坂だったようですよ」
久保田アナに”見てきたように”と突っ込まれると
「人生っていうのはね妄想なの我々は妄想族って言われてるの」

胸突坂の隣に広がるのは

大きな地図で見る
椿山荘 日本庭園です
広さはなんと2万坪 古くから大名達の別荘地として愛されてきました

高低差があるため景色が多彩
室町時代から椿がさく山として知られてきた椿山荘

その風景は江戸の名所百景にも描かれています。

しかしタモリさんに見えていたのは江戸、室町時代を超えた
遥か昔の風景だったんです

タモリさんが思いを馳せる縄文(前期)の地形
最新の研究によると当時は今よりも気温が高く
日本の各地で海が陸地に入り込んでいたと考えられています

縄文時代に海岸線があったのは現在の標高10mのラインと言われています
そこで地図の等高線に色を塗って縄文の海を再現してみることに
2009-10-02_042549.jpg
画面を参考に塗りつぶしてみました(異なる部分があることをご了承ください)
なんと今日歩いてきた所は全部海の底だったんです
「海進、海退っていうのは周期的にきていますんで」

海進:海面が上がること
海退:海面が下がること

「また何年先にはまたこうなるかもしれない」
「何年っていうのはないか5000年後はこうなるかもしれない」
「だからその時のためにもね、できるだけ高いところに住んだ方がいい」

一同笑い

「総合的に歩いてみると物凄く面白いでしょ東京は」
「どの分野をとっても庭のことをとっても地形をとっても歴史をとっても」
「ほんとうに東京はおもしろいんですよね」
「だって5000年6000年の上に住んでるんですよ我々は」

面白かったです!また来週
次回は上野

Read More...