2009年10月1日木曜日

ブラタモリ 第1回 早稲田



 
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町歩きの達人タモリさん江戸や明治の古地図を見れば甦って来る
すっかり失われた過去の町並み

タモリさんが目に留めるのは誰も気にしないようなかつての思い出
タモリさんの空想で甦る、隠された日本の風景

銀座、新宿、秋葉原
目を凝らせば見えてくる大都会に埋もれた意外な真実

時空を超えた町歩きそれが
ブラタモリ
さぁあなたもタモリさんと出かけてみませんか?

ストリートビューで(ストリートビューが重いかもしれません)




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タモリさんは早稲田大学に在学した当時モダンジャズ研究会に所属
当時連絡所として使っていた、喫茶店は現在は”キッチン南海”となっていた
携帯電話の無い時代 学生たちは、喫茶店で連絡をとりあっていた。


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喫茶ぶらんたん
これは当時とおなじだね、ここも連絡所だった
これくらいしか残っていませんね

でも当時と変わらないのが

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早稲田大学
タモリさんの訪問に学生達が大喜び
早稲田大学の創始者は”大隈重信”127年前この地に学校を作ったことから町が発展してきました
全国から集まる学生を相手にした、飲食店や商店街 下宿が建ち並ぶようになったのです。
やがて他の大学や予備校、専門学校も次々と集まり、早稲田は一大学生街へとなりました。

タモリさんの知識 大隈講堂の高さ
「尺で言うと125尺(約38m)」
「大隈が人間は125歳まで生きる気概を持つべきと唱えた」
「それにちなんで125尺にしたって、俺も2年前に知ったんだけどね」
当時の写真を持ち出し
すぐそこから田んぼだったと学生達に教えるタモリさん
校歌の”早稲田の森に”とういうのは当時本当に森があったためとも教えてあげる
早稲田の名前も”早稲””遅稲”の早稲の田んぼだから”早稲田”となった
また
ここの地層は沖積層(1~2万年前の地層)だった
4つの地層が折り重なっていると教えてくれたタモリさん
「いろんな古今東西の文化を一つに集めてそれから日本を創造するという」
「建学の精神と地層が一致してるんですよ」
「無意識的にここ選んだと思うんだけどすごいなって」
「この話はながいですよ」

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昔の日本交通公社の早稲田出張所
早稲田大学の学生のために建てられた出張所だった
タモリさんも学生当時並んで、切符を買った事があると答えてらっしゃいました。
昔の切符は硬券といって硬いボール紙のような切符でボールペンで手書きをしていた。


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大隈庭園
造園家 涌井 雅之(日本庭園など庭の専門家)さんと待ち合わせ
涌井さんいわく ここは由緒ある庭なんですって
実はここ大隈重信が暮しただけでなく江戸時代には大名屋敷(旧 高松藩松平家)
があったんですって
庭園内には鞍馬石、伊代の青石、御影石(縁側に上がる時に使われた)


ここで古地図を広げて確認をしていく3人
当時この地域は早稲田村と呼ばれてた、田んぼのための小川も流れていた
ついていけない久保田アナにたいしタモリさん
「いいのよいいのよー」
「かわいいからいいのよー男ならひっぱたいてやるけど」
タモリさんは失われた川が本当に好きらしい
鐘が鳴ったので時間を確認すると
「4時か・・・」
「4時って中途半端じゃないか?普通5時だろ」
「4時ってなんだよ!」


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神田川へ春に撮影したらしく桜がほぼ満開(ストリートビューも満開)
かぐや姫の歌”神田川”西脇睦宏 - オルゴール 70's BEST - 神田川 (南こうせつとかぐや姫)は早稲田の学生街の神田川をモデルに作られた歌
神田川の川沿いの柵には川柳が書かれた紙が所々に貼られているらしい
当時本当に寒かった早稲田
タモリさんは銭湯帰りにタオルが凍って立ったと当時の思い出を語る

と歩いていると気にかかるモノがタモリさんの目に入る
街灯に書かれている区画が

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豊島区


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新宿区 豊島区と何故か一箇所で新宿区となている事に気がつく


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えぼしクリーニング (豊島区 新宿区 豊島区のところに建つ)
クリーニング店に尋ねると
ここは区境で
豊島区と新宿区と文京区が入り組んでいる所なんですよ
ここ一ヶ所だけなんですよ西早稲田で残っているのは
ここは西早稲田です新宿区です

家の隙間を通るように新宿区と豊島区が入り組んでいる
その理由は明治16年の地図で確認するとわかった
昔は川が蛇行していたので川を境になっていたが、大雨のたびに大洪水を起きたので
そこで昭和のはじめ改修工事が行われ、神田川は真っすぐに
でも区の境は曲がっていた明治時代のまま残ったんです。

地図に画面を参考に線を引いてみました
豊島区と新宿区が交互に現れる複雑な区割りは蛇行する神田川の名残だったんですね


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東京染ものがたり博物館((株)富田染工芸)
タモリさんが見つけた古風な建物なんと大正時代から続く染物屋さんでした
昔 昭和30年代まではあたりまえに前を流れる神田川で染物をしていた

100年前の明治43年頃には水辺から桜を楽しむことができた

清流”神田川”の水を求めて多くの染物職人が集まってきました
数百軒も軒を連ねていたという染物屋さんですが今はそのほとんどが姿を消しています

タモリさんの知識
冬場に素手素足で染物をする人々を医者が見てて
「”あの人たちは冷たくないんだろうか”と当たり前の事を思ったんだって」
「”冷たくないんですか?”って聞いたんだって」
「そうしたら”そうね最初の・・・5分くらい冷たいかな”とって言ったんですって」
「あとは冷たくないって、それからそのメカニズムをズーッと研究して」
「実は人間には隠された”グローンニュー細胞”っていうのがあって」
「冷たくなった時に血管と血管が伸びて繋がる、機能があるッつうのが発見されたんだって」
「染物屋さんと川があったからそれが分かったって」
さすが古老
「いえ、これは地図からくるんです」
と答えるタモりさん


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胸突坂へ向かう坂
タモリさんの知識
「坂というのはね江戸時代から、そのまま名称が残っているんですよ」
「私はね坂ファンという高低差があると限りなく興味がある」
「だから散歩しながら高低差をいつも見ている、ほんのチョットの高低差でも見逃しません」
そして本も書きました「タモリのTOKYO坂道美学入門

NHKで商品紹介できるんですねさすがタモリさん

胸突坂を登って
「江戸の風情が残ってる」
「ねぇここ百何十年前は武士とか町人が上り下りしてたんですよ」
「そんなに前じゃないですよね、今と同じくらい賑わっていたんじゃないですか」
「坂の向こう側(両側)には大名屋敷もありましたし」
「活気あふれる江戸の坂だったようですよ」
久保田アナに”見てきたように”と突っ込まれると
「人生っていうのはね妄想なの我々は妄想族って言われてるの」

胸突坂の隣に広がるのは

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椿山荘 日本庭園です
広さはなんと2万坪 古くから大名達の別荘地として愛されてきました

高低差があるため景色が多彩
室町時代から椿がさく山として知られてきた椿山荘

その風景は江戸の名所百景にも描かれています。

しかしタモリさんに見えていたのは江戸、室町時代を超えた
遥か昔の風景だったんです

タモリさんが思いを馳せる縄文(前期)の地形
最新の研究によると当時は今よりも気温が高く
日本の各地で海が陸地に入り込んでいたと考えられています

縄文時代に海岸線があったのは現在の標高10mのラインと言われています
そこで地図の等高線に色を塗って縄文の海を再現してみることに
2009-10-02_042549.jpg
画面を参考に塗りつぶしてみました(異なる部分があることをご了承ください)
なんと今日歩いてきた所は全部海の底だったんです
「海進、海退っていうのは周期的にきていますんで」

海進:海面が上がること
海退:海面が下がること

「また何年先にはまたこうなるかもしれない」
「何年っていうのはないか5000年後はこうなるかもしれない」
「だからその時のためにもね、できるだけ高いところに住んだ方がいい」

一同笑い

「総合的に歩いてみると物凄く面白いでしょ東京は」
「どの分野をとっても庭のことをとっても地形をとっても歴史をとっても」
「ほんとうに東京はおもしろいんですよね」
「だって5000年6000年の上に住んでるんですよ我々は」

面白かったです!また来週
次回は上野

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